天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)、天津神は高天原(たかまのはら)に居られる神々です。
国津神はこの国を治めていた神々です。天津神は地上に降り国つ神の協力の基、日本の国土をさらに豊かにしました。
日本は天津神と国津神の和(わ)が息づく国です。そこには八百万の神々の平和と調和を重んじる和の心が込められています。
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天津神・国津神の「国譲り」の神話に込められた、日本人の和の心
日本には古くより、「八百万(やおよろず)の神」と表現される様々な神々が、大切にお祀りされてきました。この八百万の神の中に、「天津神(あまつかみ)」と「国津神(くにつかみ)」がおられます。天津神とは、天照大御神をはじめとする、高天原(たかまのはら)の神々のことです。国津神とは、葦原中津国(あしはらのなかつくに)、豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)などと呼ばれた日本の国土に、古くから住んでいた神々のことです。
日本の神話には、天津神が中津国である日本を高天原のような素晴らしい国とするために、平和のうちに国土を国津神から譲り受け、天津神と国津神がともに協力して、豊かな国土を築いてゆく姿が描かれています。
天地(あめつち)の神々による国づくりの御事跡には、厳しい自然の中で国を拓き、暮らしの基を築いてきた日本人の、平和を祈り調和を重んじる和の心が込められています。
自然にはやさしさがあります。自然には厳しさがあります。
人は自然の厳しさと優しさを感じながら生きてきました。
その厳しさを鎮め、恵みがもたらされるよう祈りをささげてきました。
水・土・日・風・雨・巨石・月・星・巨木・動物、あらゆるものにカミの存在を感じ、祈りをささげてきました。
人は一人で生きているのではなく、人はあらゆるものに生かされていることに感謝をしてきました。
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自然と共生する日本人独特の感性、「八百万の神を感じる心」
私たち日本人の祖先は、自然の恵みに感謝し、自然に畏敬の念を抱き、自然の摂理に従いながら生きてきました。
その中で、世界に誇る豊かな感性が育まれていきました。人間も動物も、山、川、岩、草花などの自然も、太陽や月も、雨の一滴にいたるまで、あらゆるものに目に見えない不思議な気配や存在を感じ取ってきたのです。人々はそれを「神」と呼び、畏れ敬うようになりました。
日本には「八百万(やおよろず)の神」がいるといわれます。「八(や)」は数が多いことを表す言葉で、八百万は実際の数ではなく、それほど多いということを意味します。
現代を生きる私たちはとかく自分の力だけで生きていけると思いがちですが、共生やつながりの大切さが叫ばれる今、かつて我が国に息づいていたあらゆるものに生かされているという謙虚な考え方、そして八百万の神々を感じる豊かな心を見つめ直したいものです。
天の岩屋(あめのいわや)に天照大御神がお隠れになった時、天と地に光が戻るよう天児屋根の命(あめのこやねのみこと)は祝詞(のりと)を奏上しました。
偽りのない誠のこころから発せられる言葉、そこにはこの世が平和であることへの願いが込めらていました。
声や言葉に慎み深い思いを込める祈り。
日本人は言葉を通じ、カミを称え、祀り、感謝し、願いをささげてきたのです。
その祈りには、こうではなく公に幸せを願う心が込められています。
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天下万民の幸せを祈り、神に捧げられてきた言葉「祝詞」
古くより、「言霊(ことだま)の幸(さきわ)う国」と称されてきた日本では、言葉には霊力が宿り、声に出し言葉を発することで、霊的な力が働くと信じられてきました。
日本人の「祈り」の原点は、神々に向かい言葉を捧げることであり、その目的は「個」の幸せではなく、自分がそれによって生かされている他者、共同体、さらには国家全体の安寧を願うことでした。
「祝詞(のりと)」は神職が神々に奏上する言葉で、その起源は神話に由来します。天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天岩屋(あまのいわや)にお隠れになってしまい、高天原が暗闇となった時、天児屋命(あめのこやねのみこと)は大御神のお出ましを願い、「祝詞」を奏上しました。再び高天原に光が戻ることを願う「公」の祈りでした。
利己心や不浄のない「まこと」の心から発せられるからこそ、祈りの言葉は美しいのです。
天と地がはじめて開けたたとき、天の中心にある神と万物を生み出す神々が現れました。
国はまだ生まれたばかりで、水に浮いたクラゲの如く漂っていました。
天津神たちは、イザナギの命とイザナミの命に「この漂える国を治め造り固めなせ」といいました。
二柱の神々は、その言葉通り、日本の国土となる大八島の国を産み、海や川、そして山や野、土や水の神々を産み、地上に恵みをもたらしました。
私たち人は、万物を産み出す神々の力を尊び、その恵みを頂いて生きているのです。
日本人は、万物が生み出される働きの中に神々の力を見出し、尊んできました。
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万物を産み出す産霊の力を尊び、逞しく生きてきた日本人
冬、凍えた大地は、春になると新たな生命を芽吹かせます。
大自然の営みを見つめ、その懐に抱かれ生きていた日本人は、万物を産み出す働きに大いなる力を感じ、それを神の力として尊びました。
日本の神話によると、天地(あめつち)が開かれた時、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)の三柱の神があらわれ、その働きによってよろずのものが産まれたとされています。この三神をはじめとする天つ神から「この漂える国をつくり固め成せ」と命じられた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の二神は、大八島(おおやしま)と六つの島々を産み、さらに海・川・風・山・木・野・火など森羅万象の神々を産みました。
人々は、神々、国土、自然、生命あるすべての存在を、万物を産む産霊(ムスヒ。産巣日とも書く)の力によって産み出されたと考えていたのです。いただいた命だからこそ、生命力を湧き上がらせ、人々は力強く生きてきたのかもしれません。
荒ぶる神は、天照大御神を困らせるほど暴れ続けていました。
見かねた天照大御神は岩屋の中へ籠ってしまいました。
世界は光を失い災いが続きました。
天照大御神を外にお出しし、光を取り戻そうと、八百万の神々が話し合いました。
思金の神(おもいのかねのかみ)の知恵により、鏡と勾玉を造り、榊(さかき)共に供えることを決めました。
そしてアメノウズメの命の踊りに八百万の神は笑いを響かせました。
楽しげな声、鏡に映された姿に惹かれ、アマテラス大御神は岩戸を開きました。
世界は光を取り戻しました。
荒ぶる神も和らぎました。
日本人は祈りを伝えるために、神をもてなす祭りを大切にしてきました。
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神々をもてなすことが原点とされる、日本の祭り
祭りというと賑やかで楽しい行事という印象がありますが、自然と共に生きていた日本人にとって非常に重要な意味を持っています。
祭りの語源には、神様を「祀る」「奉る」「待つ」など諸説あります。日本の祭りは多種多様ですが、その原点は「神を迎え、もてなし、お送りする」ことにあります。日本神話の中に祭りの起源とされる物語があります。
<須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴を見かね、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩屋に籠ると、地上が闇の世界となってしまう。神々が祝詞を唱えたり踊ったり楽しげに騒いで天照大御神を外にお出しすると地上に光が戻った>
という「天岩屋隠れ」のくだりで、この神々の儀式が祭りの象徴とされているのです。
自然や神やあらゆるものに感謝と畏敬の念を表し、生きる力をいただく――祭りには、謙虚に生きていた先人たちの心と願いが込められています。
清らかな自然の中で、命は輝います。時に命は輝き失うなうことがあります。それをケガレと表現してきました。
黄泉の国でイザナギの命はケガレに触れてしまったのです。そして筑紫の日向(ひむか)の橘の小戸(おど)の阿波岐原(あわきのはら)で禊(みそぎ)をしケガレを払いました。すると命は輝きを取り戻しただけでなく、そこから神々が誕生しました。
日本人は常に心の穢れを払いに清らかに生きることを大切にしてきたのです。
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生命が輝くことを願い、禊祓(みそぎはらえ)などで身心を清めてきた日本人
自然の恵みの中で生きてきた日本人は、神々の産み出した生命がより輝くことを願ってきました。
そのために人々は、常に身と心を清め、穢れを祓い、心身ともに清らかに生きようとしてきたのです。現在でも、神社の参拝にあたり手水舎で手や口をすすいでお清めをしますが、これらの禊祓の行事は、日本の神話にその起源があります。亡き妻・伊邪那美命(いざなみのみこと)に会うために黄泉の国に出向いた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、そこで死の穢れにふれたため、「筑紫の日向(ひむか)の橘の小門(おど)の阿波岐(あわき)の原」で身を清めました。そのとき、杖や衣服を投げうち、水に入って身をすすぐと次々に神々が生まれました。左目をすすぐと天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、右目をすすぐと月読命(つくよみのみこと)が、鼻をすすぐと須佐之男命(すさのおのみこと)が誕生したのです。
穢れを祓い、清らかに生きることが何よりも尊いことであると考えてきたのです。
天照大御神はニニギの命に伝えました。この稲穂を大切にし米作りを継承し、豊かな国としなさい。
そうして稲がもたらされました。
人は天上の神に倣って稲を育てました。収穫できた感謝の心とともに神様へと返されます。
日本人は神から授かった稲を大切にし、米作りを受け継ぐことで国を豊かにしてきました。
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天照大御神(あまてらすおおみかみ)から授かった、天上の稲穂
古来、日本は稲作を中心に発展し、瑞々しい稲穂がたわわに実る「瑞穂の国」と称されてきました。
お米は日本の気候風土でよく育ち、栄養価が高く保存もできるため、日本人にとってはまさに「命の根」(稲の語源)だったのです。
日本人がいかにお米を大切にしてきたかは、日本の神話からも紐解くことができます。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原から天降(あまくだ)る際、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は天上の田で育てた稲穂を授け、「地上で大切に育て継承しなさい」と命じました(斎庭〈ゆにわ〉の稲穂の神勅)。
つまりお米は、神から授かった聖なる食べ物であるのです。毎年、収穫したお米は神嘗祭(秋祭り)で神々に捧げられます。託された稲が今年も豊かに稔ったことを奉告し、感謝の心でお供えするのです。
飽食の時代にあっても、一粒の米に神を感じて感謝する日本人の清らかな心を失いたくないものです。