講演・講話

◆テーマ:日本神話に学ぶ日本のこころ

 

◆サブテーマ:「古事記」に記された日本神話に見る日本人の心の原風景

 

◆内容:自然と共に生きた古の日本人は、自然の中に大いなる力「カミ」を見出し、もてなし祀ることで感謝と畏怖の念を表してきました。特に日本神話の物語には、清らかに謙虚に生きることの尊さ、平和を祈り調和を重んじる和の心が込められています。

 

 

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■自己紹介

 

山本一男

 

2005年 Webビジネスコンサルタントとして「Offiice MizuhoNet」を創業

2006年 クラウドビジネスサービスとして「SalesForce」のサポート事業を開始

2007年 自転車のWebコンテンツ事業として「自転車ライフプロジェクト」を設立

2008年 Webビジネスプロデュース会社として「株式会社ミズホネット」を設立

2009年 小さい会社・お店の繁盛サポートとして「ウェブ・プロデュース ラボ」を開始

2010年 神社・寺院の広報サポート事業として「神社寺院魅力発信プロデュース」を開始

2011年 日本神話の語りとコンサート活動として「語りかぐら・なむぢ」を開始

2012年 地域の魅力的文化を伝える活動として「ふるさと物語プロデュース」を開始

2013年 Web構築ツール「Jimdo」の定期的講習会として「JimdoCafe京都・滋賀」を開始

2014年 「語りかぐら・なむぢ」の活動として出雲と伊勢のコンサートツアーを予定

 

 

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■2013年 同時遷宮

 

2013年は、20年ぶりの伊勢神宮の式年遷宮と60年ぶりの出雲大社の大遷宮が執り行われたとあって話題になりました。

 

2013年、伊勢神宮に参拝された方は1420万人、日本人の10人に1人が参拝に行ったことになります。

 

「これまで参拝者は中高年の男性の団体が多かったが、若い女性や子連れのファミリーの姿などが目立つようになった」「人々の意識が変わり、本物志向になってきたからでしょう」と神社本庁の担当者は話しています。

 

ここ最近の、リーマンショックという世界的な金融危機、東日本大震災、それに続く福島原発事故という未曾有の災禍に見舞われた時代背景も大きいと思います。人々はこれまでの価値観(経済・科学至上主義)に疑問を感じ、人知を超えた目に見えない力への畏敬の念から、古から自分たちの足元にある「日本古来の自然への信仰」に目が向いてきたのではないでしょうか。

 

かたや出雲大社は、804万人で前年の2倍だったそうです。島根県の担当者によると「若い人を中心に神話や縁結びに関心が集まったから」と話しています。

  

伊勢神宮(三重県)のご祭神は天照大御神で、天津神の最高神です。かたや出雲大社(島根県)のご祭神は大国主神で、国津神の最高神です。

 

人々は、ここ最近の日本での出来事を体験することで、これまでの価値観(経済・科学至上主義)に疑問を感じ、本来日本人が持っていた考え方や生き方に目を向け始めました。 

 

私たちは、古来から自然のやさしさへの「畏敬の念」と、自然の厳しさへの「畏怖の念」を大切にしてきたのです。そうした価値観が神話や神社や祭りなどにあることを気づき始めした。「日本古来の自然への信仰」に目が向いてきたのではないでしょうか。

 

それと、2013年の年に、日本を代表する神々が、同じ年に遷宮の儀式を執り行われたことは、単なる偶然だったのでしょうか? 

 

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■古事記とは

 

「古事記」とは、現存する日本最古の歴史書です。

 

内容は日本の神話や歴史などが書かれています。上巻・中巻・下巻より構成され、内容は全文が漢字で書かれています。上巻と中巻の途中までは神話や伝説が中心となり(神代の物語)、それ以後は歴史の記述(人代の物語)が増えていくが明確には区別されていません。また上巻には編纂の経緯などを述べた序文も含まれています。

 

成立は奈良時代の和同5年(712年)で、伝承では稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦したものを太安万侶(おおのやすまろ)が文章化したとされています。普通は「こじき」と音読みするが本居宣長は、「ふることぶみ」と訓読みする説を唱えました。

 

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■日本神話とは

 

日本神話とは、日本の中で発生し、伝承されてきた神話のことです。

 

「古事記」や「日本書紀」、各地に伝わる「風土記」をもとに体系づけられた神話の事を指します。

 

これらは民族の神話・伝承を集大成したものであり、日本人自身の祖先の物語であり、そこには、天之御中主之命、天照大神、神武天皇や三種の神器が登場します。

西欧文明には、ギリシャ=ローマ神話がありますが、これはヨーロッパ人とは別の民族の神話です。祖先が伝えたゲルマン神話や北欧神話もありますが、それより圧倒的な存在となっているのが、キリスト教の聖書です。しかし、聖書は、ユダヤ民族の聖典であり、アブラハムとその子孫の歴史は、ゲルマン民族とは異なる民族の記録です。西欧文明は、自らの祖先から伝来した古典を持っていないのです。これに対し、日本は、民族の源であり、拠り所であるところの古典を持っています。

 

神話にこそ、その国民の考え方や生き方を見ることが出来、「お国柄」を感じることが出来ます。

 

 

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■日本の神とは

 

「八百万(やおよろず)の神」と言う言葉があります。日本の素朴な信仰には様々な神々が登場します。こうした神々の数が非常に多い事からこう言われるようになりました。(八百万の神々がいるということではなく、たくさんの神々を八百万と表現したのです)。

日本人は古より、様々なものに対して神性「カミ」を見出してきました。海、山、川、火、水、雷、植物、動物などの自然物、地震、津波、噴火、嵐、水害、飢饉、疫病などの災害災厄、また過去の実力者(徳川家康=東照大権現など)や恐れを抱く存在(菅原道真=天神)、体制に反逆した存在(平将門)も神として崇め奉っています。

 

庶民の信仰した神としては、土地を守る土地神、氏神があります。また長年使ってきた道具も神になるとされます。さらに日本人は、人は死ぬと家の神となり、子孫達を永遠に守っていくと教えられていました。日本人にとって神とは、常に一人ひとりの隣にいる存在なのです。

また、日本人は祖先への祀ることで、自分の生命の源を敬い、祖先の生命は、どこまでも遡れば神に到ります。それゆえ、祖先への崇敬の念は神への信仰へと連続していたのです。

 

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■「古事記」神代神話の内容

 

「古事記」の上つ巻(神代)は、神武天皇の在位する以前までの時代の神々の物語の事でです。

 

◇天地開闢

世界の最初に高天原で、別天津神・神世七代という神々が誕生。これらの神々の最後に生まれてきたのが伊邪那岐命(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)です。

 

◇国産みと神産み

イザナギ・イザナミの両神は自らがつくったオノゴロ島に降り、結婚して大八洲と呼ばれみ日本列島を形成する島々を次々と産み出していきました。さらに、さまざまな神々を産み出していきました。イザナキは黄泉の国へ向かい、その後、黄泉のケガレを祓うため禊をし、この時もさまざまな神々が生まれました。

 

◇アマテラスとスサノオの誓約・天岩戸隠れ

須佐之男命(すさのを)は根の国へ行途中高天原へと向かいます。天照大御神(あまてらす)はスサノヲが高天原を奪いに来たのかと勘違いし、弓矢を携えてスサノヲを迎えました。スサノヲはアマテラスの疑いを解くために誓約(うけい)で身の潔白を証明しました。しかし、スサノヲが高天原で乱暴を働いたためアマテラスは天岩戸に隠れます。そこで、神々は計略でアマテラスを天岩戸から出した。スサノヲは下界に追放されました。

 

◇出雲神話

スサノヲは出雲の国に降り、八俣遠呂智(やまたのおろち)を退治し、櫛名田比売(くしなだひめ)と結婚します。スサノヲの子孫である大己貴命(おほあなむち)はスサノヲの娘・スセリヒメと結婚し、少彦名命(すくなひこな)と葦原中国の国づくりを始めました

◇葦原中津国平定(国譲り)

高天原にいた神々は、葦原中国を統治するべきなのはアマテラスの子孫だとしました。そのため、神を出雲に使わし交渉をしました。最終的に大国主が自らの宮殿建設と引き換えに、天津神に国を譲ることを約束します。

 

◇天孫降臨

アマテラスの孫である邇邇藝命(ににぎ)が葦原中国平定を受けて日向に降臨しました。ニニギは木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)と結婚し、コノハナサクヤヒメは夫の疑いを晴らすため火中で御子を出産しました。

 

◇山幸彦と海幸彦

ニニギの子である海幸彦・山幸彦は、山幸彦が海幸彦の釣り針をなくしたため、海神の宮殿に赴き釣り針を返してもらい、兄に釣り針を返し従えました。山幸彦は海神の娘と結婚し鵜草葺不合命(うがやふきあえず)という子をなしました。ウガヤフキアエズの子が神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれひこ)、後の神武天皇であるのです。

 

 

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■街中の赤い鳥居、田んぼの中のこんもりした森、山の頂の小さな社、全国至るところに神社はあります。神社のある風景、それは映画やドラマでもおなじみの、ごく身近な、しかし日本にしか見られない独特の風景です。

 

このような神社を中心とした、日本の神々への信仰が神道です。

 

神道は、日本人の暮らしの中から生まれた信仰といえます。遠い昔、私たちの祖先は、稲作をはじめとした農耕や漁撈などを通じて、自然との関わりの中で生活を営んできました。

 

自然の力は、人間に恵みを与える一方、猛威もふるいます。人々は、そんな自然現象に神々の働きを感知しました。また、自然の中で連綿と続く生命の尊さを実感し、あらゆるものを生みなす生命力も神々の働きとして捉えたのです。そして、清浄な山や岩、木や滝などの自然物を神宿るものとしてまつりました。やがて、まつりの場所には建物が建てられ、神社が誕生したのです。

 

このように、日本列島の各地で発生した神々への信仰は、大和朝廷による国土統一にともない、形を整えてゆきました。そして、6世紀に仏教が伝来した際、この日本固有の信仰は、仏教に対して神道という言葉で表わされるようになりました。

 

神道の神々は、海の神、山の神、風の神のような自然物や自然現象を司る神々、衣食住や生業(なりわい)を司る神々、国土開拓の神々などで、その数の多さから八百万の神々といわれます。さらに、国家や郷土のために尽くした偉人や、子孫の行く末を見守る祖先の御霊(みたま)も、神として祀られました。奈良時代にできた『古事記』『日本書紀』には、多くの神々の系譜や物語が収められています。

 

神道の信仰が形となったものが祭りです。祭りは、稲作を中心に暮らしを営んできた日本の姿を反映し、春には豊作を、夏には風雨の害が少ないことを祈り、秋には収穫を感謝するものなどがあり、地域をあげて行われます。祭りの日は、神社での神事に加えて神輿や山車(だし)が繰り出し、たくさんの人で賑わいます。

 

神道の祭りを行うのは、神社だけではありません。皇室では、天皇陛下が国家・国民の安寧と世界の平和を祈るお祭りを行われています。また、家庭では、神棚の前で家の安全、家族の無事を祈ります。これも小さな祭りといえます。

 

神道のもつ理念には、古代から培われてきた日本人の知恵や価値観が生きています。それは、鎮守の森に代表される自然を守り、自然と人間とがともに生きてゆくこと、祭りを通じて地域社会の和を保ち、一体感を高めてゆくこと、子孫の繁栄を願い、家庭から地域、さらには日本という国の限りない発展を祈ることなどです。

 

このような理念が、神々への信仰と一体となって神道が形づくられています。また、神道には、神々をまつる環境として、清浄を尊ぶという特徴があります。神社は常に清らかさが保たれ、祭りに参加する人たちは必ず心身を清めます。これら神道の理念や特徴は、日本人の生き方に深く影響しているといえるでしょう。

 

神道は、日本の民族宗教といわれ、日本人の暮らしにとけ込んでいます。たとえば、初詣や厄除、初宮参りや七五三、結婚式や地鎮祭など、神道の行事は日常生活のいたるところに見かけることができます。しかし、一般の日本人は、あまりにも身近なせいか、神道について知らないことが多いのも事実でしょう。

 

 

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■日本神話に見る和の精神

 

日本は古来から「大和(やまと)の国」と言われてきました。また日本人は「和(わ)」を重んじる国民であると見られています。こうした「和のこころ」は日本の神話の中に見出すことができます。

 

日本神話、特に「古事記(こじき)」の中には、このように記されています。アマテラス大御神(天照大御神)の子孫であるニニギ命(天津日高日子番能邇邇芸命)が、この国・豊葦原中国(とよあしはらなかつくに)を治めるため「天孫降臨」する前に、この国はオオクニヌシ神(大国主神)が治めていたことが記されています。

 

オオクニヌシ神とは、アマテラス大御神の弟神で八岐大蛇を退治したスサノヲ命(須佐之男命)の子孫です。子供頃に聞いた昔話の「因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)」の物語の主人公でもあります。

 

オオクニヌシ神が治める国は、「豊葦原葦原中国(とよあしはらなかつくに)」とか「豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)」と呼ばれ、神代には大変に豊かな国でした。アマテラス大御神は、この国は自分の子孫であるニニギ命が治めるべきだと考え、オオクニヌシ神に国を譲るよう求めます。子供の反対はあったもののオオクニヌシ神はこれに従い、立派な宮殿の建設と引き換えに「国譲り」を承諾します。この日本の国の起源を伝える物語に、戦って奪い取るのではなく話し合いによって解決しようとする日本人の「和」の精神を見ることができるのです。

 

アマテラス大御神は、話し合いによる「国譲り」を交渉し、まずはタケミカズチ神(建御雷神)とアメノトリフネ神(天鳥船神)を遣わします。この申し出に対し、オオクニヌシ神(大国主神)は「私の一存では決めらぬ。子のコトシロヌシ命(事代主命)に聞いてくれ」と言います。父であるオオクニヌシ神(大国主神)は一人で物事を決めずに、子たちの意見を尊重しようとします。

 

コトシロヌシ命(事代主命)は、国譲りを承諾します(船を踏み傾け、手を逆さに打って青柴垣に変えて、その中に隠れます)。しかし、もう一人の子であるタケミナカタ命(建御名方命)は反対し、タケミカズチ神(建御雷神)に力比べを挑みます。結局、タケミナカタ命(建御名方命)は信濃国の諏訪湖まで逃げたところで敗れ、国譲りに同意します。

 

子たちが同意したと聞いたオオクニヌシ神は、「二人の子供たちが天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に譲ろう。その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい。私に従う神々・百八十神(ももやそがみ)たちは、天津神に背かないだろう」と言い、「国譲り」は行われました。

 

このように争いではなく、先住の神からの「国譲り」は、話し合いを基に行われ、一部争い事はありましたが、互いの合意という形で国譲りが行われたと物語っています。単なる国を併合するのではなく、国を譲り受けた側が譲った側に対し、最高の礼を尽くしています。アマテラス大御神は、アメノヒスミノミヤ(天日隅宮)という大きな宮殿を造り、アマテラス大御神の子であるアメノホヒ命(天穂日命)を大国主神の霊を祀らせます。この宮殿が杵築大社、今の出雲大社の起源だと言われています。そして天穂日命の子孫は、今も出雲大社の宮司の職を継承しています。

 

この神話の物語は、明治維新の歴史的事実と似ている所があります。幕末の日本、西欧列強が日本に開国を迫る時代に、朝廷と幕府は争いを避け、交渉を重ねた末に、幕府の徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)は朝廷に大政を奉還します。慶喜はこのことを一人で判断するのではなく、家臣や諸大名の意見を聞いたうえで決定します。そして薩摩藩の西郷隆盛(さいごう たかもり)と幕臣の勝海舟が話し合い、江戸城は無血で開城され、日本国の権力の移譲は行われます。

 

徳川慶喜は、後に明治天皇から貴族に叙され、徳川家は名誉ある形で存続しています。また初代将軍・徳川家康を祀った日光東照宮は潰されることもなく、今日も大切にされています。こうした日本神話の物語や歴史を見ると、そこに日本人の考え方が現れています。 

日本人は神代から、「和」が重んじられてきた民族だったのです。私たち日本人は世界にも類を見ない「和」の精神を貴び生きてきた人たちなのです。私たちのこうした精神には、世界の平和を祈り調和を重んじる和の心が込められているのです。

 

 

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【ロータリークラブ・スピーチ『古事記(こじき・ふることふみ)』の中の神話を愉しむ】 2012/05/18

 

目次

■今年2012年は「古事記」が完成して1300年の記念の年

■「古事記」とは

■編纂の目的

■「古事記」は面白い!

■「古事記」の神話内容

■なぜ今神話なのか

■「古事記」の神話内容

■神話の面白さ

■「古事記」は、壮大な歴史ファンタジー

■では、なぜ今「古事記」なのか

■日本人の魂の源流に出会う

■自国の神話を知ることは、自信と誇りを持った生き方につながる

■現代でも生き続ける神を敬う人間の素朴な気持ち

 

 

■今年2012年は「古事記」が完成して1300年の記念の年

今年、平成24年(2012)は、日本最古の歴史書『古事記』(和銅5年・712)が編纂されてからちょうど1300年を迎える記念すべき年です。神話ゆかりの地、出雲(島根)、大和(奈良)、日向(宮崎)、オノコロ島(兵庫)では、さまざまな記念行事やイベントが行われています。

「古事記」に記された神話は、神と国と人の起源、生と死、親と子、男と女、人間にとっての根源的な問題を情緒豊かに語ってくれます。千有余年にわたり祖先が語り継いできた日本人の魂、日本の文化の源泉に、今、あらためて触れることができます。

「古事記」の中の一つの言葉、一つの文章に、時代を超えた普遍的なものを見ることが出来るからです。「古事記」が伝える神代の物語は、この日本列島で繰り広げられた人々の営み(歴史)や思い(想念)に基づく壮大な歌物語なのです。

 

■「古事記」とは

「古事記」は上・中・下巻の三巻からなり、世界の成り立ちから、第三十三代・推古天皇(すいこてんのう)まで出来事が記されています。この史書の作成は、天武天皇(てんむてんのう)の勅命により稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦したものを太安万侶(おおのやすまろ)が編纂されたものです。

 

■編纂の目的

当時、天皇を中心にした国家体制を早急に作る目的があり(古代律令国家)、天皇を頂点とする支配体制のため歴史書が必要だったのです。

ただ「古事記」の上巻に記された神代の天地開闢や天孫降臨などは、歴史研究者の間では史実として見る人は少なく、悠久の昔の物語である神話として捉え、私たちの祖先が思い描いていた世界観・価値観に触れるものとして捉える人が多いようです。

 

■「古事記」は面白い!

「古事記」は読んでみると実に面白い書物です。

私たち日本人にとってかけがえのない精神文化の書でもあります。西欧の人達がギリシャ神話を熟知しているように私たちも日本の神話を知り楽しむ社会にしていくことが大切ではないでしょうか。

「古事記」は時代の中で、大きく評価を変えてきた古典です。戦前は国家体制に組み込まれ天皇を中心にした体制の正当性に使われ皇国思想の聖典として使われた経緯があります。、戦後は一変、誤った道へ導いた反動の書として危険視され、教育の現場からも無視されてきました。

しかし、戦後60年以上経った現在、「古事記」の研究も進み、歴史の研究も進み、イデオロギーとして利用される危険性が低くなってきたのが現状です。

そろそろ、本来この書「古事記」が持っている豊かなストーリー性や世界観、大自然へのイマジネーション力、人間心理の深遠さなどエンターテイメントとして味わい楽しむことが出来る時代になってきたと思います。

「古事記」は、古代の「日本人」が「日本」を語った本です。古代の人々がこの世界を、人間の生死を、自然を、どのように感じ考えていたのか知る貴重な資料です。

 

■なぜ今神話なのか

 

今「古事記」などの神話に関心がもたれている背景には、どこかで自分たちの精神の源(みなもと)に触れたいという気持ちと結び付いているのだと思います。

それは、「日本人とはなにか」という問いを考える上で日本神話が一つの拠り所となっているということです。

神話を上手に活用することで、現在を強く豊かに生きているための力にすることが出来るのではないでしょうか。

 

■神話の面白さ

『古事記』は上巻には、神の物語が記されています。

天地が分かれるところから始まり多くの神々が登場します。イザナキ、イザナミの「国造り」に始まる神々の物語には、強烈な人間臭さが漂っているからです。例えば黄泉国(ヨモツクニ)で醜い姿を見られたイザナミはとてつもない執念で逃げるイザナキを追いかけます。

また、大国主とスセリビメの恋の物語では女性の嫉妬する激しい感情が表れ、トヨタマビメとホオリ(山幸彦)を恋慕う気持ちには確かな愛を感じさせます。

『古事記』は日本という国のルーツを記した歴史書ではありながら、エンターテイメント性に富んだ楽しい「読み物」でもあります。

 

■「古事記」の神話内容

「古事記」は三巻からなり、上つ巻は序文と天地開闢から神武天皇の誕生まで、中つ巻は神武天皇から応神天皇まで、下つ巻は仁徳天皇から推古天皇までの内容がまとめられてます。

上つ巻には、以下の ような神話が記されています。

天地の始まり

イザナギとイザナミの国生み・神生み

イザナミの黄泉国下り

三貴子(アマテラス・ツクヨミ・スサノヲ)

天岩戸隠れと開き

スサノヲのヤマタノオロチ退治

オオクニヌシの国造りと国譲り

天孫降臨(天下るニニギ)

コノハナサクヤヒメ

海幸彦と山幸彦

神武天皇の誕生まで

 

■神話の中の女性像

『古事記』の上つ巻(かみつまき)には、さまざまな女の神さまが登場します。その女の神さまに共通する要素は「強さ」です。この「強さ」が神話の世界を大変面白くしてくれているのです。

「強さ」の一つとして「気の強さ」があります。恥をかかされたと夫であるイザナキを執念深く追いかける女神・イザナキ、高天原に上ってきたスサノヲに対して武装して待ち構える女神・アマテラス、嫉妬深きオオクニヌシの妻神・スセリビメなど。

別の強さとして「運の強さ」を備えているのがヤマタノオロチからスサノヲに助けられたクシナダヒメ、「意志の強さ」では天孫ニニギに自分の子であるかと疑われ、火の中で神の子であることを証明して見せたコノハナサクヤヒメ、「想いの強さ」ではホオリ(山幸彦)を海神の宮から追いかけてきたタマヨリビメなど。

こうした女の神さまの強さに比べ、なぜか男の神さまには「弱さ」を感じてしまいます。特に「意志の弱さ」です。覗くなと言われて覗いてしまったイザナギやホオリ(山幸彦)、妻がありながら浮気心を抑えることが出来ないオオクニヌシなど。現在だけでなく神話の中でも「女は強い」んですね。

 

■「古事記」は、壮大な歴史ファンタジー

八世紀の初め、ようやく国家というカタチが整いはじめた古代日本。わが国最初の文学書にして歴史書として登場したのが「古事記」です。

この時代日本には、日本には独自な文字はありませんでした。したがって、公的な記録は、漢字・漢文で記されていました。

ただ、文字がなかった時代にも、各地ではきわめて豊かな物語が生まれ、人々の間に口伝えで広まっていました。そこには、この世界のはじまりの物語や、天皇家の故郷である高天原(たかまのはら)や天皇家の祖である多くの神々のたくさんのエピソードが含まれていました。

そうした神話伝承は、文字を知らない民衆によって謡い継がれ、あるいは昔話として語り継がれ、いずれの物語にも独特の節回しがあったとされています。

あるとき、こうした貴重な伝承を公的な文章に残そうという一大プロジェクトが企画されました。天武天皇の御世のことです。

そしてこのプロジェクトは、数十年の時をへて和銅五年(712)にようやく実を結び「古事記」として時の元明女帝に献上されました。

「古事記」は一見すると、世界各国の神話がそうであるように、荒唐無稽なファンタジーに見えます。特に「上つ巻」といわれる部分では天地創造あり、死者の国探訪あり、ヤマタノオロチ退治ありと、物語の面白さを純粋に楽しむことが出来ます。

ただ、こうした物語の裏には、往々にして政治的思惑も隠されています。また、秘儀的な側面からの解釈もあり、様々な人によって研究がなされています。そのような多方面からのアプローチが可能な点も、「古事記」の魅力の一つです。

 

■では、なぜ今「古事記」なのか

歴史学者・未来学者として有名はアーノルド・トインビーは、こんな言葉を残しているからです。「12、13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」

この言葉には、自らの民族の精神的な拠り所を亡くした民族は、自国人としての誇り)や結束力をなくし、歴史からも世界からも消えてしてしまうといっているのです。

神話は神々の世界の物語であり必ずしも史実とはいえないかもしれませんが、私たちの祖先がこの世界の成り立ちをどのように読み解き、自然の変化や災害に対してどのように接しながら生きてきたのか、人の生死についてどう考えていたのかを知ることが出来るからです。

こうした日本人が古来から持っていた感性や感受性・価値観こそ、本当に大切にして継承していかなければならないものだと思います。「古事記」は、特に日本神話は、現代人にこうした古来から日本人が持っていた感性や価値観に気付かさせてくれるからです。

 

■日本人の魂の源流に出会う

この「古事記」には天地の始まり、神々の誕生や、天孫降臨、さらには日本の歴史へと至る壮大な物語が綴られています。

物語に登場する神々は感情豊かな姿で描かれ、日本の古来の人々はこの神々の物語に共感し、こうした神々に敬愛の念を抱き、今なお各地の神社に祀られ篤く崇敬の念で持たれています。

古代から私たちの心の中に大切にしてきた神々の物語を知ることで、日本人の魂の原風景や魂の根っこに出会い触れることが出来るのです。

 

 

■自国の神話を知ることは、自信と誇りを持った生き方につながる

近年、学校教育の中で「古事記」の中の日本神話、例えば「稲葉の素兎(いなばのしろうさぎ)」「スサノヲのヤマタノオロチ退治」などの物語が採用されるようになってきました。

しかし今までは、戦前の全体主義的国家へのマイナスのイメージから日本神話を教育の現場で教えてきませんでした。戦後60年以上がたち、「古事記」や「日本書紀」の神話が戦前教育に利用されたというマイナスのイメージが薄れてきたとうこともあり、小学校の国語の教科書に日本神話が採用されるようになってきました。

では、いま「古事記」をはじめとする日本神話に何が求められているのでしょうか?

一つには、戦後日本が日本人が「経済的豊かさ」という唯一の価値観だけで教育・国づくりで突き進んできた弊害が顕著に現れてきたからです。教育の現場で「日本」「日本人」としての拠り所であったり、自らの存在(存在証明・アイデンティティ)に自信と誇りと確信を持たないまま子どもたちが成長してきているからです。

こうした問題意識から、「日本とは」「日本人とは」を考え、認識し、自覚する教材として、「古事記」や「日本書紀」の日本神話が国語の教科書の教材として取り上げられるようになりました。

ただ、日本神話は歴史的に国家の権力と関係して出来上がってきた経緯がありますので、ある特定のイデオロギーを植え付けさせないように注意を払い、他の昔話や民話などと一緒に私たち祖先が育んできた豊かな精神文化として教える必要があります。

私たちは今一度、この日本列島の自然と人々が育んだ豊かな精神文化としての日本神話を味わい、日本と日本人としての存在に誇りと自信を持ち、未来に向かって力強く心を豊かにして生きてゆく必要があるのではないでしょうか。

 

■現代でも生き続ける神を敬う人間の素朴な気持ち

最新の科学技術を用いた宇宙ロケットの開発を担当している鹿児島県種子島の宇宙センターで、昔ながらの神事が行われています。そこでは宇宙センターの行事やロケットの発射をするたびに、宝満(ほうまん)神社(佐賀県唐津市宇木)に安全祈願を依頼しているそうです。

また、世界の最先端の技術で自動車を製造するトヨタやその他の製造メーカでも自社の守りとする企業内神社をあります。

どんなに科学が発達しても、人間の神や大いなる存在を敬う気持ちは変わらず、これからも消えることはないように思います。

 

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